会社の近くのアパートで暮らしていた頃、隣の部屋にはパキスタンの家族が住んでいた。
彼らは朝でも夜でも、廊下で楽しそうに話していた。
小さな子どもたちは声を上げて駆け回り、笑い声が部屋の中まで響いてくる。
日本人の私にとって、それは少し騒がしく、イライラした。
別の日、出張で泊まったホテルの食堂では、中国からの団体客がにぎやかに食事をしていた。
テーブルの上は皿や食べかすでいっぱい。
私は思わず眉をひそめた。
「どうしてこんなに散らかしっぱなしで平気なんだろう」
そんな小さな違和感が、いつしか“国”に対する苦手意識へとすり替わっていった。
でも時間が経つにつれ、あの夜のパキスタンの家族の笑い声を思い出すことがある。
家族や仲間と声を交わすことが、彼らにとっての日常であり、満たされていることの証。
中国の人たちにとっても、食卓とは“楽しむ場”であって、“整える場”ではない。食べ散らかすことが、満足の証。
そう考えたとき、ふと肩の力が抜けた。
自分の「当たり前」も、誰かの国では非常識なのだ。
そして、誰もそれを悪意でしているわけではない。
文化が違うだけ。
世界は、思っているよりもずっと“誰も悪くない価値観”でできている。
ただ違うだけなのだ。
その違いを知ろうとする心を持てるなら、少しだけ世界が優しく見えてくる。
嫌悪を感じたら、それ以上の好意を探せばいいのだ。
※かわいい女性のイラストを描けるようになりたくて、kakimokuさんの本で真似から始めています。時間を掛けて学ばせていただきます。
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