大勢の人に混じって会話をするのが苦手なのは何故なんだろう?と考えることもなく、コミュニケーションを軽く見てきた。一対一であれば目の前にいる人に集中できるし、自分のありのままで接すれば相互理解も早まるだろうと思っていた。私の考えでは、最初から心の窓全開で接すればいいではないかと思ってきたし、「これでうまくコミュケーションとれないようなら別にいいや」みたいなスタンスだった。しかし最近、『私とは何か「個人」から「分人」へ』という本を読みながら考えを改めている。私としては、初対面でも意気投合すれば打ち解けるし、昔からの知り合いでも生き方が変わったりすれば付き合うのをやめてしまうような対応が正しいと思っていたが、どうもそれでは損をしているのではないかと思い始めた。
本によると、色々な『私(分人)』を自然に使い分けて人は皆生きているという。家族といるときの『私(分人)』、会社にいる時の『私(分人)』、誰も知る人がいない場所での『私(分人)』という具合に。これまでの自分はこういうのは八方美人でなんかカッコ悪いぜ、なんて思っていたが、その裏では自分の知能の低さで無意識に面倒なことから逃げていただけのような気がする。
『使い分ける』というのが不適当な言葉だとは思うが、10人の人と対話すれば、自分の中にも10人の分人が生まれる。だから何の偏見も持たず相手の話をよく聞いて、相手の表情をよく観察すれば、自分の中の分人も今までには無かったようなグラデーションで姿を現すのでなないか。そういう自分と数多く出会っていくうちに、自分の個性や特徴を俯瞰することができるようになり、自分の弱みや限界を補ってくれるような人に感謝できたり、尊敬できたりするようになるのだろう。
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