自分の知能の低さを粛々と受け入れる日々を耐えるのは修行であると思う。巷のインテリジェンスな人達の話を聞くたびに「すげーなー。いいなー。一日一冊本が読めちゃうのか」と、脳のパフォーマンスの高さに嫉妬してしまう。
そんなことよりも。風呂上がりの白湯が美味しいことに気づいた!これまでは冷たい飲み物を飲む発想しかなかったけど、食事や運動や睡眠に興味が出て来ると、極力身体は冷やさないほうが良いと考えるようになった。人は謙虚であればいくつになっても変化して行ける。
優秀な人というのは私と何が違うのかというと、余計なことを考えないから問題を素早く発見してそこへたどり着く。情報とか分析とかは、言い方は良くないが『こじつけている』ように見える。なぜそんなことができるのか?と思う。でもこれ、スポーツや音楽に置き換えて考えてみると、練習ばかりしていても試合で勝てるようにならないのと同じで、試合に負けるから、何を練習すればよいのかわかる。優秀な人は本番が好きだから本番に強くなるのだ。「速く走れるようになってから大会に出場する!」とか「もっとうまくなってからバンドを組む!」ではいつまで経ってもその人の人生は始まらないのだ。知能が低いのに理想だけは不思議と高い私のような人がまさにこういうパターンから抜け出せずに時間だけが過ぎていき、「なんだかな~」と悶々としてしまうのだろう。
地頭力とか仮説思考とかに関する本を読むと、意図していることは同じであって、結論から単純に考えて道のりの途中で理由を考えてこじつけていくうちに、最初は間違う確率は高いが、徐々に正解率が上がって行くよ、ということだ。頭の中に無いものは「無い」のだから「有る」ものを使って考えるしかない!と諦めるから、その時の精一杯の最適解が出る。
情報は入れても入れても、ネタにして使わなければ忘却していくだけ。だったら本当に興味のあるものだけを噛み砕いて何にでも使いまわしが効くようにこねくり回しておけば、何故かそれなりの答えがひねり出せるようになる。楽器のアドリブとかスポーツの得意技なんかも、相当こなれてこないと本番で自然に再現できないでしょ?それと同じなんだろう。
そう思うから、死ぬまでに少しでも、もう少し賢い人間になりたいし、周りの人達全員に心から感謝できるようになりたい。まだ今は「この人苦手だな~」とか思っちゃうから、拙い私です。
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