「悲しみ」の正体

ちゃんと「悲しむ」ことの大切さ

私自身、身近な人の死を体験したのは、今のところ祖父母だけ。その時、「悲しい」という感情は無く、ただテンションが下がるだけというか、生きることの無力感を覚えた記憶があります。心の中で「あぁあ、死んじゃったのか」って。お通夜や葬儀で悲しそうにしている方々を見ると「ほんとなのかな?」としか思えませんでした。

「悲しみ」の感情の中には、脱力感や無力感など、自分が感じたものが含まれてはいるが、一番わかりやすい「涙が出る」という身体的反応が起こらないことに、少し違和感を感じでいたのも事実です。他者との比較においての違和感です。

では、「泣いたことがないのか?」と言われればそんなこともなく。この記事で書いた映画でも、あらゆるシーンで【涙が出てきてデトックス】みたいなことがしょっちゅうです。

人間の勇気ある行動や、愛に満ちた行動、こういう姿にはギュンギュン反応するのに、別離や裏切りということに関しては反応が乏しい。何でなんだろう?

脳科学的に、人が悲しむために必要なこと

まず、情報を受け入れることが必要で、このときの主役は前頭前野です。ここには、その人の信念(ブリーフシステム=認識パターン)があるようで、このシステムバランスが崩れる→それを受け入れなければならない、という順番を受け入れて初めて、悲しみを感じるようです。となると、自分は「信念がない」か「現実を認識できない」かのどちらか?なのか?

そもそも涙とは何なのか

悔しい時の涙は「交感神経」が優位。嬉しい時や悲しい時の涙は「副交感神経」が優位。とりあえず、悔し涙は置いといて、「嬉しいも悲しいも一緒ではないかいっ!」実にややこしい。実に悩ましい。悲しみを感じたときに分泌される、ルノアドレナリンは長時間分泌され続けると、体内の活性酸素の増加や免疫を抑制したりする。このルノアドレナリンを抑えるために、涙が出るのだとか。この時の涙は防御システムのようなものらしい。

ようするに、怒ろうが、喜ぼうが、悲しもうが、悔しがろうが、最後には精神の安定をもたらす「セロトニン」が分泌されるということだ。そう考えると、今を味わうことが一番大事なのかなあ?

「感情」について俯瞰して考えるきっかけが掴めればと辿り着いた本

 

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